JOKER(2)
コートーヤー
久しぶりの更新になりました。
今日の好きなものは、再び映画JOKERについて...
まずは先日行われたアカデミー賞の授賞式。
JOKERでは見事に主演男優賞(ホアキン・フェニックス)と
作曲賞(ヒドゥル・グドナドッテイル)の二冠を受賞し、
11部門でのノミネートということで、ノミネート数はJOKERが1番だったようですね!
おめでとうございます!!
個人的にはあの映画の世界観、アーサーのじわじわと出てくる異質さ、
貧困等の社会メッセージ性を作り上げた監督にもスポットを当ててほしかったのですが、どうやら賛否両論だったみたいですね...
非常に残念です......
今回は2つめのJOKERの記事ということで、内容や考察を書いていきたいと思います。
ネタバレも多数ございますので、まだ観ていない方は、一度JOKERを楽しんでから読むことをお勧めします。:-)
画像は先日購入したブルーレイ&DVDボックスの箱のもう片側の画と、
ケースを開いた中身です。
暗くてわかりづらいかと思いますが、ディスクを出したケースの中の画は
冒頭の、ピエロのメイク中のアーサーが使われております。
まずはこの映画の見どころは、やはり心優しい青年アーサーから極悪非道のサイコパス、悪のカリスマジョーカーへと変貌していく様ですね。
主人公アーサーには恵まれない環境に居たり、天性の才能かというくらい間が悪く不幸な目にあったり、自分のアイデンティティを否定され続け、様々な人に見捨てられ、自分の存在価値が見出せなくなっていく様が痛々しいまでに描かれており、
その中で、ただ一つ他人から賞賛されている(と思ってしまった)のが、
暴力や殺人(=力)で、次第にそれが彼のアイデンティティとなっていってしまう。
「自分は人と違う」「普通とはなんなのだ」と思い悩んでいた彼が、殺人をきっかけに「これが自分であり、何も自分を否定するものを理解する必要はない、蹴散らせばいい」と開き直る姿は清々しく、髪を染め、ピエロのメイクを施し、
不敵に笑う彼をみて不謹慎ながらも「格好良い」と思ってしまった方は多いのではないでしょうか?
話は少し違いますが、地下鉄での殺人時、本当に誰が見てもダメな奴のアーサーが、銃を持った途端に凄腕のスナイパーばりに獲物を淡々と仕留めていく様だったり、
事あるごとに自分の感情を踊りで表現する様子は、何故か引き付けられるような妖艶な魅力があるんですよね。 本当に不思議だ。
そして 個人的にこの映画の恐ろしいと思ったところが、アーサーのサイコパスな異質さももちろんありますが、なによりそれに共感し、暴動を起こす人々でした。
おそらく、このアーサーが体験するような不幸やそれによる苦悩、不満、怒りは、
お話の中でも現実でも、わりと多くの人が心の内に秘め、共感できてしまう所があるのではないかと思います。
だからこそ、一人の発信源から出た不満が、街を壊滅に追い込むまでの事態になってしまったシーンを観て、人々の共感と責任転換(みんなやっているからいいだろう。というようなもの)は、ダイナマイトよりも早く街を滅ぼすという恐怖心があったのと、
ラストシーンのピエロの仮面をつけた人々がJOKERを囲み、悪のリーダーとして崇める姿は、匿名で一人の人を晒上げる、SNSという何より身近なものと重ねて観てしまい、
現実でもこのような状況が、簡単に生まれてしまうのでは?と心配になりました。
映画の公開がハロウィン前後だったため、本当に気が気じゃなかった...(笑)
サイコパスの殺人鬼も怖いけど、一つのきっかけで好き放題やる周りの人が一番怖い。
私は「JOKER」は個人では無く、周りを巻き込んだ「現象」だと考えています。
そもそもそれを引き起こしてしまうのが、JOKERの悪の魅力であり、
カリスマ性なんでしょうがね……
そしてこのような事を考えさせられるだけの演技を魅せつけた
ホアキン・フェニックスにも脱帽です。
彼の出した異常性や緊迫感は、きっと他の人ではなかなか出来なかったでしょう。
なんせ、役作りのために1日1つだけのリンゴで過ごし、3か月で30Kg程の減量を
されたそうです。
そりゃこれだけ鬼気迫る演技になるわけですね......
とにかく、観たことがない方は、ぜひとも1度観てほしい作品です。
作品の内容(アーサーの出生の謎、どこまでがアーサーの妄想なのか、エンドロール前の精神病院のシーン等)の考察についても記載する予定でしたが、
好きすぎて延々と書いてしまいそうなので、どこかのタイミングで少しづつ書いていきます。
こんな長々とした記事を読んでくれた方には、絶対にいいことが起きます!笑
ここまで読んで下さった方、本当にありがとうございました。:-)